音楽を聴く心...

その昔から、ずいぶんと長い間、このCDを聴き続けている...どのくらいになるだろうか、おそらくこのCDが初めてリリースされた時からの筈だ。CDも既に初版物は、傷だらけになってしまって、今聴いている...iPhoneに入ってる...のは、GlennGouldEditionに入っていた物だろう。先日も、これを聴いていて気がついた。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)


初めて聴いた時とは違う感覚...ついノリに体が自然と動きつつ、ある場面では涙までしてしまう...は、いつごろから生まれ始めたんだろうか?

先日、僕のフォローしている坂本龍一が「50歳を過ぎると音楽がより良く聴こえてくる」みたいな趣旨の返答をしているのを思い出した。たしか、これもフォローしている高野寛の年齢を憂いたような発言に対しての返答だったように思う。高野寛はそれに答えて、50歳の誕生日が待ち遠しいような事を言っていた。(^^ゞ

たしかに、50の大台に乗った頃から、僕は音楽に涙することが多くなった。長く子供たちを通わしている学校が主催しているメサイアを見に行った時ころからだったか...その後、幾つかの機会で人前でも涙ぐんでる自分に驚いたりしていた。

最近は、涙するだけでなく、けっこう体が乗ってしまう事も増えた。要するに、恥も外聞もない度胸を身につけただけなのかもしれないけど、意外とそうでもないように思っている。

というのは、これまでさほど聴いていても感動を覚えなかった曲も、なんとなく理解が出来るような気がしているからだ。
天才的な音楽家なら、まだしも僕のような平凡過ぎるリスナーにとっては、あまりにも難解な音楽が多いのだけど、それらが理解できる様になるには、それなりの期間と熟成が必要だったのだろう、と思ってる。
かの坂本龍一でもそうなんだから、彼の耳...いゃ、脳だろうけど ...には、どんな物が感動的な音楽となって聴こえているんだろうか? ってとても興味がある。
彼は、僕らには到底分からないようなものも、音楽に聴こえていたはずなんだから、ずいぶんと昇華された領域に向かっているんだろうなぁ、などと...


でも、実際のところは、これまで聴きもしなかった、身近な音楽なのかもしれないけど...